2025/08/11 01:00
そんな両親の苦虫を噛み潰すような日々を、当時の僕はほとんど知らなかった。
じいちゃんは、戦後に築いてきたものを失う悲しみを、表情だけで痛いほど僕に伝えていた。
そして、それを守りきれなかった父は、きっと幾度となく自問自答を繰り返していたはずだ。
少し話がそれるけれど──
父は進学校を経て、有名大学を卒業した優秀な人だ。
幼い頃、彼が「本当は映画に関わる仕事をしたかったけど、長男だから家を継がなきゃいけなかった」と話していたのを覚えている。
そしてそのあと、「佑介は好きなことをやっていいんだぞ」と続けた気がする。
──自分の話に戻そう。
小学校でも中学校でも、僕は勉強ができるわけではなかった。
いわゆる“ザ・中”という成績ばかりで、唯一5を取れたのは美術。あとはほとんど3。
テスト勉強も一夜漬けのフリだけ。
せっかく習い事をさせてもらっても、のめり込むことはなかった。
大学進学を決めたのも、仲の良い友人が行くから。
入学してからも、サークルや熱中できる何かを見つけることはなかった。
私立大学だったので、1コマ5,000円の授業をサボって、時給1,000円のバイトに行く。
そんな堕落した、透明人間のような大学生活を送っていた。
結果、4年間で友達は4人しかできなかった。
そんな矢先に、倒産が起きた。
周りを見れば──
空手○段合格、○○大会出場、明確な夢を語る人、ファッションやパソコンを極めた人……
20年も生きていれば、誰もが何かしら積み重ねてきていることに気づいた。
僕には、それがなかった。
たとえるなら、人はみな経験や想いを「水」としてペットボトルにためている。
それは、人生の道を進むうえで力になる、大事な“ブースト用”の水だ。
でも僕のペットボトルは、空っぽだった。
浅野家という家業。
保護されたアスファルトの道が整っているように見えて、実はそれに守られていただけだった。
その道が崩れたとき、目の前に現れたのは、ガタガタの岩場のような現実だった。
それは誰が悪いわけでもない。自分の生きてきた証だった。
じゃあ、この空っぽのペットボトルを、どうやって満たしていくのか。
僕はどうすれば、自分だけの“自我”を育て、このボトルを埋められるのか。
光の差さない暗闇の中で、手探りの踠きが始まった。
何を掴むのかもわからないまま──。
つづく